戦火がますます、激しくなり野球どころではなかったのであろう。
チケットの質もどんどん悪化し痛々しく感じてしまいます。
又、デザインそのものも、軍事色が強まり、強がりを言っている標語もあり・・・
そんな中でも、野球を愛した人々によりなんとか支えて来ましたが19年の夏季をもって中断を余儀なく・・・
日本プロ野球上唯一の凋落期のチケット達です。

昭和17年7月30日


“戦はこれからだ、銃後も戦場”
確かに、この後3年もの間、日本は負け戦をしなければならなくなります。
“銃後も戦場”とは、聞きようによっては戦後も混乱が続くと予言できるが・・・











第三回日本野球連盟名古屋優勝大会〜1943年8月28日〜
分からないかもしれませんが、デザインが野球に全く関係ない(軍需)工場だと思われます。“産業戦士慰安”という建前が無ければ野球そのものを行いにくい環境だったのでしょう。
裏まで透けるような薄い紙でできています。ミシン目もだいぶいがんでいて・・・












昭和18年10月9日

“鍛えよ一億棒ぐる体”
破滅へ向かっていくさまが良く分かります・・・
映像だけでは分からないと思うが、紙質がとても悪く触るだけで破けそうになってしまいます。










報国号飛行機献納日本野球優勝大会〜年代等不明〜
野球の収益を飛行機につぎ込もうとしているくらいなので日本軍は既に末期的状況なのでしょう
それと同じように、野球も末期的状況みたいですね・・・
ここまで、軍部にコビを売らなければ、野球ができない時代だったんですネ・・・





















昭和19年夏季公式戦
片っ端から選手を軍隊にとられ1944年の夏季シーズン終了をもって秋季が行われないまま戦前の野球が全て終了しました。
1944年から日本野球報国会と名前を改めましたが1年限り・・・
当時は空襲で試合が無かったりしたため招待券を配ったとしても試合が見られない可能性があるためシーズン中何処でもOKというこんなチケットが登場してしまうのである。
もし、この様な状況に再びプロ野球が遭遇すれば、このようなチケットが出まわるのであろうか?その時は本当にプロ野球が終わってしまうのでは・・・果たして今の野球ファン、経営者達はこのような不細工なチケットを印刷してしまうぐらいの愛情を抱きつづけているのであろうか?














参考資料 石丸進一コレクション
悲運にも日本プロ野球史上唯一、特攻隊により戦死した伝説のピッチャー。








ホームに戻る




管理人からのお願い