職業野球創世記

世界恐慌から10年も経っていないこの時代に“プロ野球を創ろう!!”なんてよく思ったものである・・・

そんな経営者たちだから、たかがチケットにでも“ヤルゾ!!”っという情熱が感じるてしまうのは私だけなのでしょうか・・・

そのせいか、中には今でも通用するようなチケットも・・・


大阪タイガース初陣披露試合〜1936年4月19日〜

ごらんのとうり大阪タイガース(現阪神タイガース)が産まれて初めて行われた日のチケットです。

で、あるから、景浦、藤村、松木、若林、御園生等の殿堂いりした方々の初試合であることは言うまでも無い・・・







試合経過。 
試合開始0時55分
終了2時35分
                      計
大阪タイガース 000 000 400  4
東京セネタース 000 000 010  1

試合開始3時30分
終了5時30分
                       計
大阪タイガース 003 200 000  5
名古屋金琥軍 000 030 000  3

全日本野球選手権試合〜9月25日〜


当時の公式戦のチケットですが、曜日が無いため何年かな???
職業野球時代は昭和11年〜13年。13年は試合が無かったので違う、11年はトーナメント戦なので、きっとこの様なデザインじゃないと思うので、12年物だと思うのですが・・・

12年だったら、この日はタイガースは西村幸生、巨人が沢村のエースどうしの先発で、5対2でタイガースが勝利しています。

11年だったら、沢村英二がタイガース相手に職業野球初のノーヒットノーランをしているのですが・・・






大阪タイガース結成一周年記念〜1937年3月12日〜


この頃から阪神のペットマークって変わってないんやね〜
スタンダードなデザインやから今まで残っているのかもしれないが、考え方によるとただのケチなんかもしれんけど・・・

ちなみにこの試合チケット、阪神タイガース50周年史の中でなんにも記載されてないので何が有ったかさっぱり分りまへん!











プロ野球,初のオールスター戦〜1937年11月20日〜

この日のチケットはオールスター戦で沢村英二が初めて先発し勝利した唯一のチケットです。
当時アマチュア野球にどっぷり漬かってた朝日新聞社主催のせいか、わざわざ“同情週間のための”っとチャリティー方式でしか催せ無かったみたいですね!











昭和12年選手権決定試合〜1937年12月4、5日〜


12年の春は巨人が、秋期はタイガースが優勝したので、12年度選手権決定戦(今の日本シリーズみたいなもの!)が、アメリカのワールドシリーズに見習って7回勝負に。
後楽園での1、2戦をタイガースが勝利し、続く第三戦先発はタイガースがエース西村幸生、巨人がスタルヒン、12年秋期の防御率1、2位どうしの対戦でしたが、当時、西村は巨人キラーであるのに対し、スタルヒンはいつもタイガースにカモにされていたため、8対2と、一方的なタイガースの勝利となった。










タイガースの3連勝でがけっぷちの巨人は先発を沢村のエースをたて、タイガースは御園生。

タイガースは前半リードされたが後半追い上げたが、9回に前日投げたスタルヒンを投入し6対5で巨人が勝利した。


ちなみに、この後、5戦も巨人が勝利したが6戦に沢村と西村のエースどうしが対戦し、タイガースが勝利。この結果、タイガースは12年度総合優勝をなしました。









昭和12年全日本職業野球優勝記念、タイガース紅白戦
〜1937年12月25日〜

阪神タイガース50年史には昭和13年の紅白戦が日本で初めての有料紅白戦って書いてたんですが、このチケットわざわざ、招待券を配ったってことは、もしかすると有料だったのかも・・・

てっことは・・・



あっ影浦さんが投手に・・・4番でエースって時代あったんですねぇ〜













幻の!南海ホークス結成記念試合〜1938年7月6日〜



南海ホークス40年史の中には南海の初陣は1938年7月22日になっています・・・
このチケットはそれよりも古いぞ?

誰か詳しい事知っている方いませんか????

っと、以前書きましたが堺の残党さまから以下の説明を頂きました。本当にありがとうございました。

帷子ノ辻さん、ある程度のことがわかってきましたよ。 実は、7月5日がとんでもない大雨だったのです。当時の細かい法律を私はほとんど存じ上げませんが、最もひどか った神戸市や阪神地区については、これは即ち今でいうところの「災害救助法適用」状態ですね。 大阪府下だけでも浸水家屋20.000戸とのことです。西宮球場で予定されていた大相撲の興行も中止されたようです。
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「大阪毎日新聞・縮刷版」−昭和13年(1938年)7月分− の7月5日〜7月10日ぐらいの記事に詳しく載っています。号 外も載っていますので、図書館等にお立ち寄りになる機会があれ ば、ぜひ一度ご覧ください。 そして、縮刷版の7月6日のスポーツ欄の記事内容が「決定打!」 です。(笑) 「ネオ肝精」の広告の「精」の文字の上に、5行程度の記事ですが 「6日の予定が、連日の豪雨のために27日に延期になった」旨の 記事が載っていました。 以上、ご報告でした。







阪急野球社結成2周年記念大野球戦〜1938年3月12日〜


“大野球戦”ってのが、当時っぽいですよね!























昭和13年選手権決定試合〜1938年11月26日〜


この日は、先発がタイガースは西村幸生、巨人がスタルヒン、のエースどうし(沢村は1938年1月に召集されていますので・・・)で行われ、延長10回裏スタルヒンのさよなら押し出しでタイガースが勝利。

ちなみにこのシリーズの結果は、タイガースの4連勝で13年度優勝チームになりました。

タイガースの、れ!連続優勝・・・
20世紀最初で最後の連続優勝でした・・・














巨人軍帰朝歓迎野球戦〜1939年2月25日〜

たしか、このチケットは巨人がフィリピン(やったと思う)の遠征からの帰りを記念した試合かなんかやったと思います。

今の頭の硬い経営者と違って行動力があり、かつ、考えていることが大きい!
ちょっとは見習っていただきたい!













石丸進一コレクション







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